【今月は財務課が「わかば通信」の当番です】
財務課というところは、日頃患者様と接する部署ではありませんが、病院を見えない所から支えている部署でもあります。そんな財務課が毎日取り扱うのは「お金」であります。 毎日「お金」を処理して病院の運営に支障がないようにと動いています。
「お金」は私達が生きていく上でとても大切なものだと思うのですが、小学校・中学校の教科として先生から「お金」について教えてもらった記憶がありません。例えば、貯金の方法・おこづかいについて・そしてお金の増やし方使い方。話題はいくらでもありそうですが、学校で教わった記憶がありませんでした。むしろ「お金」の話題は口にしてはいけない。という雰囲気があった ような気がします。振り返ってみて何故なんだろうと素朴に思っています。
学校では教えてくれないくせに、家に帰ると母はいつも「お金」についての言葉を発していたような気がします。『家にはお金がない、お金がない。』と。又『将来お金で苦労しないようにね。』とか『何とかなるなんて、お金は絶対何ともならないんだからね。』とも。お金についての教育は学校教育ではなく、どうも家庭教育の範囲なのでしょう。
お金について話題にするのをためらう雰囲気は日本人の美意識なのでしょうか? 例えば、お礼の気持ちを相手に示す時に現金で渡すのは憚られ、敢えて商品券にしたり図書券にしたり。或いは「袖の下」という表現で敢えて存在を隠す行為だったりと。
私が日々思うことは、「お金」というものは実に不思議な存在だということです。生活をしていく のに欠かせないものであるにも関わらず、「お金」はそれを使う時と場所、そして使う時の場面でいくつもの顔を持ち、感謝されたり非難されたりします。例えば、恋愛するカップルがデートの後に、男性から女性に今日はありがとうの気持ちを込めて品物でのプレゼントではなく「お金」を渡した らどうでしょう?多分女性は激怒して帰ってしまうでしょう。なのに先日、私は自分の嫁の誕生日にプレゼントは何がいいかと聞いたところ、即座に「現金」と返ってきました。「お金」というものは身内同士では生々しくても平気で、他人の間柄ではオブラートに包むように扱うべきものなのでしょうか?
そんな不思議な「お金」についての思いを巡らせながら、財務課は今日も目立たない場所で、 病院の為に働いています。
次の順番の時には、「お金」について人は必ずしも合理的な行動を取るとは限らない。という現象について書こうと思います。暫しのお待ちを!
財務課長 瀧井直人
- POSTED at 2023年02月16日 (木)